純粋に表現したいと思えているかどうか
- yumeomou gatmountain
- 2023年9月3日
- 読了時間: 2分
小説を書きたいのか。論説の世界観を確かに作り上げたいのか。詩を詠みたいのか。落語を意識しているのか。短歌に没頭したいのか。
私が私と私の心に課す挑戦は表現媒体の選択のところで相当に散乱しているようにも思える。活動が実のところ相当に散乱しているのかもしれないとも感じる。多岐に渡り過ぎていて、私は一体何がしたくて、何に夢中になっているのか分かりにくくなっているようにも思えるのだ。
だが、私は信じている。私の心の内に感じる思い、感覚のようなものを純粋に表現して、伝えていく。つまりのところ自身の心の中に生じた多様な感覚を多くの表現媒体を通じて、皆と共に感じていく。そうした活動に確かな意味、意義を感じている次第だ。ある意味、心の内に生じてくる感覚、心の内での思考活動が表現された具体物としては、そのような観点においては一つに括れるのではないか。活動の趣旨が見事なまでに一致してくるように思うのだ。多くの活動が一つに確かに束ねられるのではないかと思うのだ。
だとすると、私が行う日々の表現活動はそのテーマ性において決して散乱などしていないのではないかとも思えてくる。確かに多様性を感じなくもないが、純粋に己の心の内に感じられてくる、生じてくる感覚、そうした心的感覚を表現したいと思えていて、そのような純な思いに素直になれているのであれば、これまでも、今も、これからも私の表現活動が目指すところは、その目的、目標、意味、意義は決して散乱なんかしないのだと信じる。その方向性、目標がブレてしまうことはない。
それどころか、どちらかというと一途な活動であり続けられるだろう。もしかしたら強固な目的、目標に一直線に進んでいくような活動としてこの先、成熟してくるのかもしれない。そのような可能性すら感じる次第だ。大きな希望を抱き、日常を生きて、この先を大事に思い描いていこう。
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