top of page

心に感じる感覚器性

  • yumeomou gatmountain
  • 2023年4月22日
  • 読了時間: 1分

小説、論説を描いていて思うことがある。つい誰かの心に何らかの響きがあったらいいなと思ってしまう。


人は時に小説、論説に心を揺り動かされることがある。喜怒哀楽のような情動を刺激されることがある。沸き起こってくる心的な感覚に、時に良い意味で感動したり、時に憤慨してしまうことさえもある。


書き手はそうした確かな響きを期待して、日々の執筆に邁進していくのだろう。読み手は何を思うか。何を感じていることだろう。そのようなことを想像しながら、自身の思いをまとめていく。


読み手はきっと感じている。何らかの心的感覚を感じている。自身の心がまるで感覚器の一つであるかのように感じたりするのではないか。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、平衡感覚、触覚、痛覚などを感じ取るための感覚器と似たような意味合い、性質が見出せる。そう感覚を感じ取るための感覚器性が心にも見出せる。一定程度確かに感じられるのではないか。そのように思うように感じる方も少なくないのではないか。


小説、論説に読み手として対峙ながら、自身の心を用いて、その小説、論説を読み込みながら、心という現象、機能性に富んだ一つの臓器のような概念存在に対して、我々は感覚器性という一つの側面、性質というものを確かに感じることになるのではないだろうか。

 
 
 

最新記事

すべて表示
今年もひと月半ほど

最後に追い込んで今年という年に何とか納得したくなる それならもっと真剣に臨めば良かったのに そう思う人も少なくないのでは でも、大丈夫 来年を頑張る確かな理由ができたから ずっともっと真摯に人生と向き合うわけができたから 前を見て、積極的にこれからを生きていこうと思う 読み手のあなたも大丈夫 前を向いて進めるとても前向きなあなたなら大丈夫 きっと来年末までには間に合いますよ 素晴らしい年にできます

 
 
 
確実を描けるか

創作活動に確実性を求められるか そんな問いかけに思い悩む毎日だ きっと、こう言える その問いに対する私なりの答えは 「わからない」となるだろう 確実に

 
 
 
超えられない己の限界

我々は、残念ながら己の限界を超えられないように出来ている 例えば、心理的な限界が 私たちの挑戦に限りをつくってくる これ以上は難しい 困難、不可と 確かに線引きしてくる 誘われるのだが、心惹かれるのだが、 自制しよう それも大事な能力、挑戦に確かに臨めるかの大切な素養の一つ...

 
 
 

コメント


bottom of page