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心に感じる感覚器性

  • yumeomou gatmountain
  • 2023年4月22日
  • 読了時間: 1分

小説、論説を描いていて思うことがある。つい誰かの心に何らかの響きがあったらいいなと思ってしまう。


人は時に小説、論説に心を揺り動かされることがある。喜怒哀楽のような情動を刺激されることがある。沸き起こってくる心的な感覚に、時に良い意味で感動したり、時に憤慨してしまうことさえもある。


書き手はそうした確かな響きを期待して、日々の執筆に邁進していくのだろう。読み手は何を思うか。何を感じていることだろう。そのようなことを想像しながら、自身の思いをまとめていく。


読み手はきっと感じている。何らかの心的感覚を感じている。自身の心がまるで感覚器の一つであるかのように感じたりするのではないか。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、平衡感覚、触覚、痛覚などを感じ取るための感覚器と似たような意味合い、性質が見出せる。そう感覚を感じ取るための感覚器性が心にも見出せる。一定程度確かに感じられるのではないか。そのように思うように感じる方も少なくないのではないか。


小説、論説に読み手として対峙ながら、自身の心を用いて、その小説、論説を読み込みながら、心という現象、機能性に富んだ一つの臓器のような概念存在に対して、我々は感覚器性という一つの側面、性質というものを確かに感じることになるのではないだろうか。

 
 
 

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